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友人の通夜、葬儀に出席して感じました

s_013先日、友人の奥さんから連絡が来ました。
小中学校で一緒に遊んでいた友人が亡くなったとのことでした。

原因は交通事故で、私は友人と全く予期せぬ別れとなってしまったのです。
私と友人との出会いは今から20年前。小学校三年生のクラス替えの時でした。

それ以前から顔は知っていたのですが、家が離れていたせいもあって一緒に遊ぶということはありません。
そんな中で一緒のクラスになったので、当初はそこまで親しくしていたわけではありませんでした。

転機は夏休み前のプールの時間です。
タオルを忘れてしまった私に、友人がそっとタオルを差し出してくれたのです。
予備があるから大丈夫という言葉に甘えた私ですが、実は予備なんか無くて私が使った後のタオルを使用していたことが判明。
私は思わず胸にこみ上げてくる物がありました。

私と友人の仲が一気に深まったのはその時からです。

それ以降、夏休みも平日も、学年が変わっても中学に上がっても、私と友人はずっと一緒でした。

高校へ進学すると別々の学校になったため以前ほど遊ぶ機会も減りましたが、それでも私と友人の友情は途切れることはありませんでした。
こうして大学、社会人になってもずっと続いていた友人との関係が、交通事故という形でプッツリと途切れてしまったのです。

通夜の当日、私は友人宅へ向かいました。
通夜会場という立て看板を見て、やはりこれは現実だったんだなと改めて実感したものです。

そして焼香をあげるために家の中へ入ったのですが、奥さんは明らかに憔悴し切り、まだ幼稚園に上がったばかりの息子さんはよく分からないと言った感じで母親の横に座っていました。
その表情がより一層の悲しみを誘うんですよね。

私は遺族の方に頭を下げ、焼香をあげるために友人の遺影を見上げました。
そこには、昔私と一緒に旅行へ行った若かりし頃の友人の写真が飾ってあったのです。

私はそれを見た瞬間、鼻の奥がツンと痛み、そしてそのまま大量の涙があふれ出しててきました。
もうどうにも止められません。
人目もはばからずに泣いたことなど、幼稚園以来なので30年ぶりになるでしょうか。
私は誰に見られてるのかも気にせず、わんわんと泣いたのです。

その後、友人のご遺体を見たのですが、交通事故という割には顔が綺麗だったのが救いでした。
まだ独身である私に、友人は「早く結婚して子供を作れ。そして俺らの家族と一緒にキャンプへ行こう」とよく言っていたのを覚えています。

残念ながらその願いを叶えることは出来ませんでしたが、いつか私も結婚して子供をもうけ、友人の墓前にお参りに行きたいと思います。

通夜や葬儀に出席した時は、やはりこんなところに来なきゃ良かったと思ったものです。
辛い現実を見せつけられるのですからね。
でも、心の中で一つのけじめをつけるには、やはり通夜や葬儀に出席しなくてはいけないのだなとも考えさせられました。
こういった行事はやはり必要ですね。
悲しいけれどそう思います。


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